とある放送局関連のラジオで名探偵コナンが過剰に宣伝されている事態
■声優ラジオでネタも含めて宣伝されまくる名探偵コナン
・文化放送やその文化放送関連の声優ラジオを中心に『名探偵コナン』の映画の話をやたら出ている。
・名探偵コナンの映画の話題が出たときに「またか!」のように文化放送のツイッターでも疑問を感じるなどのつぶやきが投稿されていた。観ていて私もまたかと感じた。
・以前からファンだと公言している声優も現実にいるが、そうでもない人がふつう以上に話に出しているのはおかしな現象である。
・文化放送の超!A&Gでは『名探偵コナン』のプロデューサーの諏訪道彦がラジオ番組をやっていることがあった。多く聞いてる人はこれは文化放送と裏で絡んでいるなというのが良く分かる。
・『名探偵コナン』の中では”真実は一つ”という言葉が出てくることがあるが、
現実の真実はほとんどが一つではなく不明なのである。
■番組の台本のどこかにコナンネタを織り込むように指示?!
・多くの番組で何故か必要以上にコナン関連のメールが異常に読まれたり、話に異常に登場している。GWに新作が公開されることもあり、東宝や日本テレビなども宣伝費を出すなど関与しているのかもしれない。
もしかしたら番組の台本のどこかにコナンネタを織り込むように指示が出ているのだろうか?そんな疑問を感じてしまうほどの登場数である。真意は果して・・・
・また、文化放送の「声優アワード」でも東宝の作品へ優遇して賞を与えていたことからも裏で関わりがあるのかもしれない。
・文化放送といえば以前のアニメラジオの番組内で、アニメとほとんど関係ないハリウッド作品の過剰な宣伝も問題に感じた。そのときもラジオのリスナーから批判が巻き起こっていた。
■おぐの名探偵コナン卒業体験
・正直、名探偵コナンの現在は世間的にそんな人気がない。アニメ化されてから20年以上になるため、一時的に触れている人は存在しているがその多くが卒業している。
・私自身は『名探偵コナン』を90年代の最後に卒業した。いつまでも”黒の組織”を引っぱるあたり、内容が同じことを繰り返しているところに疑問、作品レベルの存在に限界を感じたのが大きな原因である。ちなみに当時は少年サンデーが現在よりも大きな発行部数を誇っており、毎週購読していました。それでも少年ジャンプや少年マガジンには大きく劣っていました。
■名探偵コナンの人気のピークは15年以上昔
・いわゆる『名探偵コナン』のテレビ放送の全盛期は視聴率ももっとも獲得していた90年代である。90年代の後半は15~20パーセント近い視聴率を多く記録していたが、ここ最近は半分以下の7パーセント付近に甘んじている。
ちなみに名探偵コナンの歴代最高視聴率は1999年3月1日放送、137話の「青の古城探索事件(後編)」での23.4%です。
関東地方で放送された2017年4月22日の『名探偵コナン』のテレビアニメの平均視聴率が6.7%だった。これは紛れもない現実である。全盛期から10パーセント以上の視聴率を落としている。
・1999年3月1日の名探偵コナンの歴代最高視聴率は23.4%
・2017年4月22日の名探偵コナンの先週の視聴率は6.7%
約4分の1になっています。
アニラジファンには懐かしい「超ラジ!Girls」の番組テーマスング、現在も後継番組ともいえる「A&G NEXT BREAKS FIVE STARS」が放送されています。番組は若手声優の1人が月曜から金曜までの担当の曜日ごとに番組をしているというものです。
■名探偵コナンは現在の時代劇の概念へ通じてる部分
映画の『名探偵コナン』はテレビの宣伝のおかげが強いが最低でも100万人付近の観客動員は維持、本数は作られているが基本的に同じことの繰り返しをしている作品である。予定調和は時代劇にも存在している部分であり、それが良い部分であるが、年も取らない登場人物たち、設定が進行しない世界など時代劇の概念へ通じてる部分があり、日本らしい作品かもしれない。
映画とドラマが作られた「銭形平次」や「右門捕物帳」など現代版である。銭形平次や右門捕物帳は世界観や主要人物のキャラクターやサブレギュラー、ゲストも描きながら、発生した事件を解決していく内容。
今回の21作目の新作は東宝や日本テレビなどがこれまで以上の大きな宣伝費を投じたことの効果もあり、観客も入っているらしいが私にとっては90年代がピークの作品という考えは現時点では変らない。今後、テレビアニメの視聴率は10パーセント台へ回復できるのだろうか。
現在の「A&G NEXT BREAKS FIVE STARS」の前番組だった「A&G NEXT GENERATION Lady Go!!」
■ だとしたら評価できない
・個人的に文化放送自体は『探偵コナン』のことなどがあっても、トータルは評価しているが周囲のいくつかの企業に都合よく使われている状況が真実だとすると評価できない。